第一章 守護者と名乗る者

 守矢今乃は考える。なぜ、こうも物騒な事件というのはなくならないのか。揺れる電車の中、携帯電話の画面を見ながら思考していた。
 携帯は現在インターネットに接続されており、『本日のニュース』などと画面に表示されている。その下に、こんな文面がつづられていた。
『××県××市で一家殺害 住宅街に潜む狂気!?
 四月十八日の昼頃、××県××市六長町に住む寄本さん一家が殺害されているのを、近所に住む女性が発見した。
 殺害されたのは寄本剛さん(32)と妻の和子さん(29)、娘の黄奈子さん(14)の三人。
 発見した女性は、和子さんと親交があり、当日も和子さんを訪ねに来たという。しかし呼び鈴を押しても返事がなく、鍵が開いていたので不審に思い、中へ入ってみたところ殺害されているのを発見したという。
 現在のところ犯人の手がかりと言えるものはなく、警察では殺害時刻に不審な者がいなかったかなど聞き込みを進めているとのこと』
 そこまで読んで、今乃は呟いた。
「物騒だなあ……」
 一家殺害。なぜこのような事件はなくならないのだろうか。そもそも、一家をまるごと殺害してしまうような動機はなんなのだろうか。
 怨恨、物取り、一家心中。可能性としては様々なものが浮かぶが、「犯人の手がかりがない」と報道している以上、これらのどれも考えられないのだろう。
 曰く、人から恨みを買うような家族ではなかった。
 曰く、物を盗られた形跡は何もなかった。
 曰く、心中と言うには自殺者が見当たらない。
 可能性を消すことのできる可能性を考え、今乃は電車を降りた。
「六長、六長です。ご利用いただき、ありがとうございました」
 それでも、怨恨という線だけは消しきれないな、と思う。人の評価というのは対象のある一面でしかなく、その対象が「絶対にこういう人柄ではない」と言い切ることは不可能だからだ。
 「ない」ことを証明するのは、「ある」ことを証明するより遙かに難しい。そういう意味では、先の可能性三つは未だ有効であると言える。
 だが、いつまでも事件を考察しているわけにもいかない。たとえそれが、今乃自身の通う高校が建っている町で起こったものだとしても。
 冷めているわけではない。知り合いでもないのに、悲しめと言うのは無理がある。
 諦めているわけではない。実感のわかない殺人事件に、警戒しろと言われても行動できない。
 だから、いつも通りの日常を過ごす。
 そう。
 学生は、忙しいのだ。


「守矢? 早いじゃないか、どうしたんだ?」
 教室に入るなり、岡村が話しかけてきた。というより、意外な人物の登場に驚いている風だった。まあ、いつも始業の五分前に登校する人物が三十分前に登校したら軽い驚きくらいはあるだろう。
「別にどうということもないけど。ただ、たまたまかな」
 これは本当である。今朝はたまたま早くに目が覚め、たまたま早く支度が終わり、たまたま早く登校しようという気になったのだ。
 岡村は、そんな今乃の言い分を、ふうん、と言って流した。ただ驚いただけで、元々理由に興味はなかったらしい。
「それより知ってるか? 村雨のこと……」
 始業三十分前。それはまだ教室に人があまりいない時間帯だ。それなのに、岡村は内緒話をするように声を潜め、顔を寄せてきた。
「村雨さん? 何、お前惚れたクチか?」
 あまりに真剣な目で聞いてくるので、思わず今乃は茶化してしまった。だが、岡村は全く動じることなく、どころか今乃の調子に合わせることもなく言った。
「……その様子じゃ知らないらしいな。彼女、今日は来ないぜ」
「来ない? なんで分かるんだよ、お前村雨さんと仲良かったっけ?」
 岡村の様子を見るに、ただごとではなさそうだ。となると、単なる風邪ということはあるまい。重い病気か、はたまた怪我か。あるいは――
「……いや、今日は、じゃないな。しばらく来ないと思う」
 今乃の脳裏を、先程電車内で見たニュースがよぎった。
「――昨日の帰り、通り魔に襲われたらしい。出血がひどくて、今病院で治療中っていう話だぜ……」
「と――」
 通り魔、だって?
 あまりに現実離れした――ニュースという、「非現実」の中でしか見ないような――単語に、今乃はしばらく思考を停止させていた。
「三日前は一家殺害、昨日は通り魔。全く、いつからここはこんなに物騒になったんだか。親父も、手が足りねえって愚痴ってやがった。ホント、お前も気を付けろよ?」
 それだけ言うと、岡村は教室を出て行った。始業までまだ時間はたくさんある。気分転換か、トイレにでも行ったのだろう。
 それを見届けた頃、ようやく今乃の思考は回復した。どうしたものかと一瞬思案し、とりあえずは日常を続けることを選択した。鞄を置き、ノートを取り出す。
 授業まで、まだまだ時間がある。今朝は早く起きたことだし、この辺で睡眠を蓄えておくのも悪くない――
 そう思い、机に突っ伏した。目を閉じ、先程までの情報を反芻する。
 この学校がある町で、一家殺害。
 この学校のクラスメートが、通り魔被害。
「……物騒だなあ」
 呟いた一言をきっかけに、今乃の意識は奥底へと沈んでいった。



 辺りは真っ暗。時計の針は十時を回っている。
 最近住宅地化が進んでいるこの町は、夜になると明かりという物がほとんどなくなる。
 少女は闇に慣れていた。塾の帰りは中学からこの時間だった。
 少女は道を知っていた。あと少し、その曲がり角を曲がればもう自宅が見える。
 そんな、慣れ親しんだ日常の闇の中を歩いていた、はずだった。
「貴女が、村雨雫?」
 闇は、いつの間にか日常を捨てていた。
「はい?」
 少女は振り返る。背後から聞こえてきた女の声。知っている声ではないが、相手は少女の名前を知っている。そのことが、少女の足を止めさせた。
 振り返ったときには、少女の左腕が裂けていた。
「え――あ?」
 左腕の痛みを感じるより早く、少女の右足が裂けた。
 右足の痛みを感じるより早く、少女の左脇腹が裂けた。
 脇腹の痛みを感じるより早く、少女の右肩が裂けた。

 全ての痛みを感じるより早く、頭が意識を紡ぐことをやめた。

「やがて、目覚めの時が来る」
 意識を覆っていく闇に紛れてきたのは、先程の女の声ではなく、男の声だった。
 近付いてくる地面はやけに大きく、視界は狭く。心臓は早鐘を打ち鳴らし、脳は思考に全力でブレーキをかけていた。
「俺達は“守護者”。憎むがいい、恨むがいい。それがお前を動かす力と――」
 体と心を繋げる糸が、ぷつりと切れた。



 放課後。今乃は学校を出、駅へ向かっていた。
 様々な事件があった影響だろう、朝から教師は皆忙しそうで、それでも授業が早く終わることはなく、最後に「早く帰るように」との通達だけがあった。
 それ以外は、全くの「日常」である。
 今乃は、普段通る道を、普段と違う時間帯に歩いている。これは今乃の日常ではないが、この道の、この時間における日常だ。そう思えば、今こうして歩いているのもさして日常から外れた行為ではない。
 ――だというのに。その瞬間今乃は、かすかに「非日常」を感じた。
 それはほんのわずかな違和感で、とても些細な映像だった。
 目の端に、一人の男が映った。ただ、それだけだった。
 別に、知っているわけではない。誰かに似ていたわけでもない。その男が、奇妙な行動を取っていたわけでもない。
 にもかかわらず、今乃はその男にわずかな違和感を覚えた。
「……?」
 自然と、その男を目で追ってしまう。すると、男の方も何かに気付いたのか、今乃の方を振り向いた。
 今乃と男の、視線が合った。
 その瞬間。
 今乃の視界を、白い光が埋め尽くした。
「――っ!?」
 思わず手で視界を遮る。それでも光は輝き続け、今乃のかざした手を赤く透けさせた。
 十秒か、二十秒か。あるいは五秒、光は輝き続けた。
 やがて光は収束し、辺りは元の景色に戻っていった。住宅が建ち並び、商店が点在し、何事もなかったかのように歩く人々がいた。光など、初めからなかったかのように。
 しかしただ一箇所。今乃の目の前にだけ、決定的な「非日常」があった。
「え……」
 宙に浮く、一枚のカード。時計か本くらいでしか見かけないような数字と、数個の英単語と、そして絵が描かれていた。
 数字はXII――十二を表していた。
 英単語は、The hanged manと書かれていた。
 絵には、宙吊りになった男の姿が描かれていた。
「お前が……」
 それは、一枚のタロットカード。
「……俺の、後継者か」
 全ての始まりを告げる、「非日常」のひとかけらだった。


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